会報第3号

もくじ
新年の集い“新春懇談会”を開催
会員有志による 座談会開催
会員からのメッセージ
  中国・天津を探る
  「地上最強の商人」になる法
  2003年産地表示に思うこと
  都農町商工会・接客研修担当のご報告
  不況等がもたらしたことについて考える
  舞台からのヒント
  思い出のS・L    



〜新年の集い“新春懇談会”を開催〜
―歓談尽きなかった2時間の交流―


§ 当協会発足後、初めて迎えた新年の集いとして企画された「平成15年新春懇談会」が、1月18日(土)の午後(14:00〜16:00)、福岡商工会議所ビル内で開催されました。
当日は、会員30名の出席に加え、来賓として北九州商工会議所及び長崎販売士協会からの関係幹部の方々と現在、関東・関西地区等に異動されている県外会員の方など5名の参加を含めて総勢35名での新年の初会合となりました。
§ 会は午後2時ちょうどに、仙波敬子会員の司会で始まり、最初に挨拶に立った栗川会長から「会員数は更に増え、現在、正会員94名、賛助会員4社になった。新年は、より活動を活性化させ、更なる飛躍の年にしたい。どうか、そのためにも今日は、思い切り交流を深めて欲しい」との新年度に臨んでの抱負を混えた心なごむ挨拶がありました。
続いて乾杯の音頭を取られた石原(敏)顧問からも「2年目の今年を大事にしよう」との発声のもと、参加者全員で元気よく“カンパイ!”をし、歓談に入りました。
§ 歓談の時間には、立食パーティの気軽さも皆さんに歓迎されたようで、会場のあちらこちらで会話が弾み、お酒もすすんで話題もお互いの趣味・嗜好から身近な出来事、仕事や協会の活動についての議論など多方面にわたっての話が交わされていました。
また、そんな中、朝日新聞西部本社経済部の市川(美亜子)記者も取材に立寄ってくれましたので、参加者との間で話の輪も一段と広がって大変密度の高い交流の時間をもつことができたように思われました。
§ 更に来賓として参席いただいた北九州商工会議所の長塩課長からは同所における販売士制度に係わる活動概況の紹介と同時に、昨年来の当協会の活動と今年に懸ける意気込みに対しエールを送っていただき、長崎販売士協会の冬木・吉岡両理事からは20年の歴史を持つ先輩協会として、今日まで紆余曲折しながら歩んでこられた諸事について私共の前でお話をしていただきました。
いずれも、今回の新春懇談会を一層有意義なものに盛り上げて頂き、本当に感謝申し上げたいと思います。
§ このほかにも、当日は、東京からわざわざ参加してくれた秋本香織さんや神戸からの吉田貴司さんの挨拶や新入会員の戸高弥栄子さんの紹介などもあり、和気あいあいとした歓談尽きない時間がまたたく間に過ぎ、歓談時間を利用しての余興ゲーム「ビンゴ」まで一気に楽しみ合った一日でした。
会の最後は、石原副会長の「今年の干支“未年”にあやかり、限りない成長・発展に向け皆で力を合わせていこう」との締めの挨拶と共に恒例の博多手一本で盛会裡に締めを行って、午後4時過ぎ散会となりました。
以上

(石原 義曠 記)



〜会員有志による 座談会開催〜


 昨年末の12月21日(土)の午後、広報委員会の企画で、「当協会発足1年目の平成14年を振り返り、会員から協会活動に関しての率直な感想や意見、提案、要望などを聴かせて貰おう」という趣旨で座談会が行われました。
 当日は、会場の麻生電子ビジネス専門学校に、呼びかけに応じて頂いた女性会員3名(飛永永子さん、長沼玲子さん、谷川由美さん)、男性会員2名(箱森哲則さん、池邊昌弘さん)と役員側から栗川会長、石原副会長の総員7名が出席し、2時間半に亘って活発なやり取りが続きました。「しっかりとした会員のニーズ把握が不可欠だ」「そのためのアンケート調査をしたらどうか」「2級会員対象のプロジェクトが必要だ」「講師体験は非常に勉強になったので、もっと相互啓発の機会を増やして欲しい」など忌憚のない意見や有益な提案が出ましたので、話題に上った事柄を新年度の協会運営の糧として活用できるよう整理し、総会時に諮っていくことにしています。
 また、今回は、たまたま、これまでの協会活動に何らかの形で参加、協力していただいた会員の方々ばかりでしたので、体験を通して特に苦労したこと、喜びを感じたこと、将来当協会や自分が所属している委員会がどんな姿になっていくのが望ましいか、また自分自身はどんな役割を担っていこうと思っているかなども具体的に語り合って貰いました。因みに「今回の座談会は大変に有意義だった」と参加者の感想もありましたので、広報委員会では、今後更により多くの会員の方々にお集まり頂けるような座談会を企画していくよう考えていますので、その節は、皆さんのご参加をよろしくお願いします。


〜会員からのメッセージ〜

中国・天津を探る
顧問 一級販売士 石原 敏

 日本の経済はどうなる。産業空洞化といわれるように企業の国外脱出が進んでは、輸出立国としての基盤が保てるのか。コスト競争力の面で即効性を重視すると進出先はアジア圏、特に中国が対象として喧伝されている。中国沿海部の発展は目ざましく底知れぬ活力に与えて日く「昇龍」でありオリンピック誘致や果てはミスワールド開催まで、ここ数年は風を呼び雲を捲くが如く五星紅旗の波頭を嫌という程見続けることになりそうである。
 今、北京・上海は誰でも知っている都市である。だが政府直轄市の中で、さほど知られていない一つに天津がある。私の友人に天津東麗区の経済顧問を委嘱された人がいる。本職は税理士であるが北京人民大学の客員教授でもある。その彼が天津・北京現地視察に行くというので視察団の一員に加えてもらった。僅かの滞在であったが見聞きした天津の紹介をしてみよう。
 経済雑誌記者を含め一行9名が福岡を出発したのは2001年10月25日でありました。
 天津は人口1001万人、華北最大の工業都市、渤海沿岸に600年の歴史を持つ貿易港を抱え、日系企業誘致にも熱心である。5年前の数字だが工業総生産に占める日本を含めた外資企業の割合は97年で42.8%だという。
 さて、東麗区の経済特別開発区の現場に行って驚くのはその広さである。見渡す限りの平地、その地面に鉄骨だけが列をなして立っている。杭打ちなど見られない。地震対策をしないので基礎工事は至極簡単、2ヵ月もあれば工事が完成するという。
 土地代は50年間の使用権という形でu当たり260元、建築費u当たり700〜800元と合わせてもu当り1万6千日本円程度で仕上りということになると相当安い。ただ最小区画で7500u以上だから当然に零細企業では近寄り難い投資額となるようだ。
 次に訪れた住友系の機械工場の隣にはトヨタ自動車の建設用地というのがありました。この広大な敷地は現時点では既に2002年10月8日生産開始し、ヴイオス(中国名・威馳)を年間3万台製造の計画という報道がなされました。
 こちらは苦労話の方です。91年に現地法人を設立した日本酒メーカーの例です。奈良県に本社を置く中谷酒造、朝香というブランドの酒を醸造します。
 現在では各都市で超高層ビルが林立する沿岸部の景観からしても、建設事業の技術や機材の性能は一定の水準に達しているのだろうが、『当社の進出時は技術水準も劣悪で、日本では当り前の事が未だ現地では認識度も低く、じぶんの納得するまで改修するのが大変で、特に水と熱の問題−天津の水は硬水であり水質が良いわけでもなく、酒造りに適した水に精製するための管材や装置、蒸気を発生させ送達するためのロスの無い構造や配管には泣かされ、こんなことなら最初から国内ゼネコン社に発注した方が良かったと悔んだ』と中谷正人社長が述壊しておられた。
 現地政府の優遇税制は面白い。所得税は基本的に15%だが開発区では利益計上3年目から7.5%、翌年から15%となるらしく、特許やハイレベルの新技術に対する特別優遇税制など手厚いものがあるようだ。人脈や人心、それに教育問題も興味深い。
 今度は強い臭気と刺激を伴うスモッグの体験です。京津塘高速路を走ったとき、鼻が痛くなるし目はチカチカするし周囲は淡青く曇ってビルや橋も霞んでいます。工場煤煙と民生煤煙それに自動車排気で呼吸器病になりそうです。現地の対応策は相当強硬でトラックは昼間天津市内に入ることが禁じられています。また北京側でも北京ナンバー以外の車は市内に入る前に北京交通隊検査所へ回され、一台一台排気ガスのチェックをされます。合格しない車はそこでストップ引き返す以外ありません。それ程公害は深刻になっているのです。
 大きな話では、時速500km天津・北京間のリニアモータ計画が、2008年の北京オリンピックに照準を合わせているし、東麗区でも湖岸を整備し温泉施設や観光総合リゾートの図面が出来上がっているし、天津は首都北京への玄関口として北天一体化へと近付いて行くのではなかろうか。
 何れにしても進出の利点もあれば難点もある。彼、経済顧問の結語は「チャイナリスクを知りながら、かつ積極的に中国市場を自社のビジネスに組み込んで行くことが必要とされる」でありました。
 一行は区長をはじめ人民政府の役人から酒席の乾杯作法をみっちりと教えられ、旅程の後半は北京の開発区を観察し、すっかり中国通になった気分で10月30日無事帰福となりました。 
〔参考〕中国直轄市等の人口(2000年)
  北京1,383万人、天津1,004万人、上海1,614万人、  重慶3,097万人、香港(特別行政区)680万人

「地上最強の商人」になる法
あなたは実行できますか?
監事 一級販売士 小野 宗利

 キリストの生まれた西暦元年前後の話。アラブの大富豪が残した成功の巻物があった。その中味を紹介するという形で、この本「地上最強の商人」(オグ・マンディーノ著)は始まる。豪華な装丁のこの本は、多分多くの方は一度は手に取られたかもしれない。これは商人としての成功の秘訣を説こうとしたもののようだが、もっと広くビジネスマンとしての生き方、あるいは人間としての生き方にもつながる内容である。巻物の中味を要約すれば、次のとおり。
 1)愛をもって人に接すること
 2)成功するまで頑張りつづけること
 3)自分の独自性を発揮すること
 4)「今」に生きること (昨日を嘆かず、明日を思い煩らわない)  5)自分の感情をコントロールすること
 6)よく笑うこと(あまり深刻に考えない)
 7)自分の能力を越す(と思われる)高い目標を設定すること
 8)今直ちに行動すること
 9)最後にこれらのことが出来るよう神(人を超えた存在)に祈ること
(ただし神は存在しないと断言できる人は、この所は省略してもよいとしている)
 そしてもっとも大切なことは、これらのことを「習慣化」することであるという。
 いずれにしても簡単なことではないが、対人接客業に携わるものとっては、1)の「愛をもって人に接すること」は大事な点であろう。また2)の「よく笑うこと」も「客に笑顔で接すること」と置き換えれば、これまた接客のポイントとなる。
 その他の項も、それぞれ参考になりそうである。大富豪になると保障のかぎりではないが、ひとつかふたつ実行してみてはいかが?


2003年産地表示に思うこと

研修委員会 副委員長
一級販売士 蒲池 彰

 産地表示に関するJAS法が厳しく、適用されるようになりました。
 内容は消費者から見れば、ごく、当り前のことです。しかしながら流通に携わるものにすれば、あらたな負担をしいられることになります。裏を返せば今までがいい加減であったということです。
 韓国産のミニトマトが市場業者の名前で出荷されて以後、国産で流通するという産地名のロンダリングが行なわれたことも、まだ、記憶にあると思います。産地表示は生産者から最終の販売業者まで正しい情報を伝えなければなりません。これは簡単なようで難しい。
 昨年の11月から12月にかけて農水省は全国で産地表示の立ち入りの検査、指導に入りました。具体的な指摘事項は〜などというあいまいな表現が注意されたようです。この期間、私もスーパー、専門店を見て回りました。スーパーはもれはあるものの意識は高く、整備されてきていると感じました。専門店はばらつきが激しく、明らかな違反表示がまだあります。産地名がないばかりでなく、特上、特選といった表現があります。また、産地名を証明するもの(納品書等)が必要です。
 先日、TVを見ていると生産者名までわかっている豚肉をA社では生産者のシール、POPまで製作をして消費者にアピールしていました。B社では国産という最低限の表示でコストをかけずに安く売ることにしていました。どちらをトレードオフ(2者選択)するかその企業の政策です。しかしながら、今後の傾向は生産者まで特定できる流通(トレーサビリティ)でなければ、信頼を得られないと思います。消費者が全商品の表示に関する知識を持つことは大変な負担です。これはやはり流通に携わるものがきちんと責任を持つべきものです。表示は産地だけでなく、公正取引委員会、厚生省等、いろいろな管轄があり、熟知するのは簡単ではありません。販売士協会がその一助を担う事ができればよいと思います。


都農町商工会・接客研修担当のご報告

一級販売士
教育コンサルタント 仙波 敬子

 販売士協会のご紹介で宮崎県の児湯郡にある都農町商工会に行ってきました。会員企業数は4,000ほどの小さな商工会ですが、生き残りをかけて今年度は様々な取り組みをしているとのことでした。今回は「接客指導」がテーマでしたので、挨拶や動作・笑顔や会話などを講義と共に練習してもらうという実践形式で研修しました。皆さんとても素直で、3,4回の練習で各動作が非常に機敏に、また丁寧になりました。店側の活気ある動きや声の演出がお客様を呼び込むということ、1回のお客様との出会いを大切にし丁寧に接客すること、挨拶の基本用語やお辞儀を徹底して気持ちを表現すること、会話の仕方・特にほめ言葉などのストロークをどんどん発信することなどを伝え、練習しました。
 研修会場の70名ほどの前半分は某スーパーの社員の方が着席され、驚くほど熱心でした。このスーパーはこの地域一番店で活況を呈しているとのことでした。この若い方々の熱気で会場は盛り上がりましたが、しかし深刻な問題はその他の多くの小規模商店にあり、研修中の反応も鈍く途中離席する人やつまらなそうにする人、後半分座席の方です。商工会の担当者から聞いたところ「いつも辞めたい高齢者社長」「商工会のみを頼りにしている経営者」「不景気を世の中のせいとあきらめて、既に努力する気をなくしている経営者」などが会員店主には非常に多いということです。「接客」研修どころではないそうです。何かきっかけを作らなければ、と私も話を聴きながら苦しい思いがしました。繁盛店の社員は、私が行かなくても既にコツを日頃の接客から感じ取っているように見えました。話すことにすべてうなずいてくれるのです。商工会の担当者は、どちらかと言えば高齢者店主の生き残りが重要な目的だったようです。
地域は消費者も高齢化し、消費も停滞している中にあってどの店も「買い物に誰も来ない」状態なのです。ここの高齢者は日常の買い物は食品程度で、何を宣伝しても買わない状態です。商工会は高齢者のバスツアーを企画し商店街を通過する経路をつくったのですが、お茶を飲むだけで買い物はしなかったそうです。またうまくいかないとホームページを作ったりECを始めたり、値引き作戦を展開している店舗も多いようです。(情報系指導者にも依頼されたそうです。)しかし、ECで扱う商品は他で手に入らないようなモノであり、本当に魅力があるのでしょうか。また値引きも近隣の大型店舗と同等の価格設定をしようとしていますが、利益を圧迫しているだけで逆に売る気を失っている場合も多いのではないでしょうか。
 私は、困難な状況を作っている店舗は誰かの物まねや、指導者の言葉の鵜呑み、また昔ながらの変わらない経営をして「うまくいかない」と嘆いているように映りました。確認すれば、繁盛の基本はまず商品力があること、そして販売力があること。この店にしかない独自の商品や、地域一番商品のような価値ある商品、こだわりある商品を置いているか、ということ。そして販売力においては、具体的には開店時間(10時開店18時閉店では集客力が劣るのは当然)や陳列・接客・広告などの販売努力です。また価格を超えた最高のサービス、親身なサービスの提供であると考えます。消費者とのハイタッチなコミュニケーション、頻繁なやり取りを心掛けることが、ますます必要ではないでしょうか。よって、このようなコミュニケーションを実践する接客研修は面白くないとおっしゃる店主の方には、何のために経営されているのかお尋ねしてみたいと思います。
 各地の商店街や小規模小売店では同じような悩みを持っている経営者も多いだろうと考えます。何か販売士協会でお手伝いできることがあれば発信し、商工業者の方々の力になりたいと考えます。基本的接客指導は、即効性があり、明日からでも店頭で変化が起きます。また繰り返し演習で、顧客を一生のファンにする考え方とスキルが身につきます。基本であり重要なテーマ、足元から改善することも大切でしょう。


不況等がもたらしたことについて考える
一級販売士 山崎 良一

最近、各種営業セミナーの講師を依頼されるケースが増加していますが、そこで感じることは、受講者の受講態度の変化です。以前は社命により仕方無しに参加している方が多く含まれていましたが、最近は、そのような方はほとんど見かけられなくなったことです。真剣に講義を聴き、演習に取組む姿を見ると「危機意識」がひしひしと伝わってきます。これも不況や構造変化がもたらした、少ない光の部分ではないかと感じます。このように能動的に自分の能力を向上させることは、その方にとつては自分の市場価値を高めることとなり、引いては企業に貢献することとなるでしょう。
 先日、NHKが放映していた「営業が変った(営業マンに高度なコンサルタント的能力を求める内容)」も衝撃的なものでした。もはや、勤務者の企業依存思考は排除される時代になったようです。しかし、このことにより、結果として勤務者の市場価値が高まることも事実でしよう。


舞台からのヒント
一級販売士 秋本 香織


 先日舞台を見に行きましたら、スーパーに客をとられた商店街の店主たちが、福引きで客を取り戻そうとしている場面がありました。その内容が舞台上だけの話で終わらすのはもったいない、もしかしたら商店街活動のヒントになるのではないかと思い、紹介させていただきます。もし、みなさんご承知の内容でしたら未熟者と笑ってください。
 『福引き券は商店街で五百円分のお買い上げごとに1枚ずつ配布されます。それに満たないお買い上げに関しては、百円ごとに補助券を1枚、5枚集まったら1回引くことができます。でも、この補助券というのが今ひとつ冴えない感じがします。無くしたり、面倒くさかったり、財布にかさばったり、持ってること忘れたりと。特にこの辺でもう買い物をしないと思っている人にとってはゴミと同じです。でも、そんな人が福引き券をもらったら?普通はやると思います。だからといって百円ごとにくじを配ると採算が合わないので、五百円に満たない買い物に関しては百円ごとにスピードくじを配る。当りが出ればそのまま福引き券になる。当りは全店舗で二割五分。補助券はこの先どうなるか分からないけど、スピードくじなら、その場で福引き券なのかゴミなのかはっきりする。楽しみも増えていいと思うんだけど・・・』
と、このような内容でした。脚本を書いた方は、常に利用している商店街のやり方に不満を持っていて、それを本にぶつけています。と、おっしゃっていました。なるほど。このお話どうでしょう?もし、実で役に立てば幸いです。

思い出のS・L
一級販売士 佐田 智彦

帰えらじと思ひさだめし旅なれば
ひとしほぬるるなみだ松かな

 吉田松陰が江戸の伝馬町へ護送される時に詠んだ、故郷への惜別の歌である。私はその風光明媚な萩で生まれ育った。海・運河・川・山・みかん畑で遊ぶ子供時代、S・L(運転手)に憧れていた。黙々(モクモク)と働く蒸気機関車と列車が大好きだった。
 中学3年生の時、校内マラソン大会の私的練習(夜間)を郊外で行っていた。その途中に萩駅(山陰本線)がある。ある夜、停車中(数日の経験から定時だと分かった)の貨物列車の機関手さんへ、“次の東萩駅まで乗せて欲しい”とお願いしたら、快くOKの返事を頂いた。
 早速、機関手2名の狭い運転台に2人が押し入った。息をのんで発車の瞬間を待つ。さあ出発ダ!汽笛を鳴らし、一歩づつ踏み出す様に、激しい息づかいで、ドッドッドッと走り出す。ゴツゴツとした振動。グッグッグッと機関車は尻を振る。身体をも揺さぶられる。阿武川の鉄橋にかかった。ショベルで石炭を炭水車の炭車から取り出し、窯にくべた。また、許可をもらい、耳を圧する汽笛(足踏みか手動かは覚えていない)も鳴らした。真っ暗な闇の中に、シグナルの灯だけで勇ましく走る。振り落とされそうな恐怖と、孤独感、息の苦しさに私はおののいた。しかし私は最高の興奮状態だった。
 暫くすると、鈍いブレーキの音を発しながら停車準備に入り、目的の東萩駅に着いた。機関手さんにとって、業務違反のため、中学生2人が駅員さんに見つからぬ様に、細かな心遣いで静かに降ろしてくれた。若いし身の交わしは素早い。 お礼を述べ、さっと駅前にでて行った。見えない2人の機関手さんに心より感謝をした。
 わずか10分程度の短い経験であったが、私にとっては、夢心地の一時であった。友達とワクワクしながら家路へと急いだ。(家族はこの出来事を知らない)味をしめて、後日、最後尾車の車掌さんにも同じ交渉をし、車掌列車にも同乗した。
 あれから、40数年の月日が過ぎた。帰省の折必ず通過する陸橋から見る『萩駅のホーム・線路・雑草』が当時の思い出を蘇らせてくれる。
 なみだ松は5本松とも言われ、萩市大屋(萩駅の近辺)に存在する。